1998年 に SuperCon '98 に参加したのが始めだったので、今年で20年になったことになります。 「コンテスト風景」のリンクを辿ると20年前の私の写真があります。若い…。 というわけで、なんとなく記憶をたどりつつメモを残してみようかと思いました。 当時は情報オリンピック(IOI)に日本は出ていなかったので (1997~2004の間休止していたらしい)、 高校生向けのアルゴリズムっぽいコンテストというとSuperConでした。
1999年 にも SuperCon の予選には参加したのですが予選落ち。 というか当時の自分はよわよわだったので、 前年チームを組んだ先輩が卒業してしまっては為す術がなかった。
2000年、2001年 は大学に入ったのですが、特に何もしていない。 ICPCとか存在すら知らなかった気がします。
2002年 大学生向けの全世界大会である ICPC について、 確か離散数学の授業で先生が紹介していて知りました、が、 授業で聞いた時はそこまで興味がなかったのですが、 突然このサイトのBBSに学科の先輩を名乗る人が現れチームに勧誘してきていただいたので、 勧誘されました。常に先輩ドリブンだな自分。 当時は AtCoder や codeforces や Aizu Online Judge や PKU Online Judge もまだ存在せず、 UVa Online Judge が主要な練習ステージでした。 topcoder は2001年からやっていたらしいけれど、 やはりこれも当時の自分は知らず。 繰り返しますが当時の自分はよわよわだったので、練習の時にDFS(深さ優先探索)すら一人で書けず ペアプログラミングでめっちゃ口出しをもらいながら書いていたことを覚えています。
2003年 しかしそんな自分でも先輩ドリブンなので、 世界大会に出ることができてメダルなど取れてしまう。 単調な関数の方程式の解析解がわからないときは二分探索すればいいんですよ 的なことを大会中に教わっていた気がする。
しかし、今でこそ情報オリンピック出身者が大学1年生になったとたんに ICPC で無双しても誰も不思議に思わないと思いますが、 当時は割と年齢にしたがって知識も経験も次第に増えて強くなっていくのが当たり前、 という雰囲気があって、 過去の地区予選突破者リスト を見ても、東大のこの年の前後は、最高学年のチームが卒業すると通称"学内予選"(大学対抗 コンテストなので一大学からは○チームまで、のような制約があって、強豪校から予選を通るには この制限が厳しい)の枠が空いて、次の代のチームが通るように、が繰り返されていたものでした。
あとこの年から毎年 ICFP Programming Contest に参加したり作問側に回ったりしています。 これは確かコンパイラ演習かML演習の授業で聞かされて存在を知ったのだったと思う。
2004年 この辺りでACM-ICPC OB/OGの会 が発足して合宿やら模擬練習会やらが始まったんだったと思います。 この辺りで修行して少しは力がついたんだろうか…。
2005年、2006年、2007年 2005年の世界大会を最後に年齢でICPCを卒業してからは、 再び特に何もしていない状態へ。年一回の Google Code Jam には出たくらい。 あ、ICPC の OB/OG 会に入って作問はしていました。
2008年 の Google Code Jam は上位100位まで決勝にご招待という太っ腹な大会で、 幸いなことにその枠に残ることができたので、少しは事前練習しておくか、と思って topcoderはじめました。 決勝が終わったらすぐにやめようかと思っていたのですが、そのとき日本から同じく出場していた iwiさん や wataさん 達とライバルとして競ってみて衝撃を受けたというか、 レベルが違って会話が通じなくなりかねないレベルで自分がアルゴリズム力で負けているなあ…と痛感したので、 ちょっと一念発起してちゃんと継続して鍛え直そう、と思って継続して競技プログラミング続けることにしました。 どのくらい衝撃を受けたかというと、その後に「kinabaさん競技プログラミングの本書きませんか」 と知り合いの編集者に企画を振られたときに、私より圧倒的に強い人がいますので是非彼らに話を持っていきましょう、 と言ってしまったくらいで、そうして出来たのが 蟻本 です。
2009年 からは、そういうわけでtopcoderを始めとして各種コンテストにかなり継続的に参加していました。 2016年 辺りから力尽きて、年1回の TopCoder Open と ICFP Contest にだけ現れる勢に なってしまっていますが…。まあ、この辺りはもう今読んでいる皆様がご存じの通りの時代です。
2010年 のICPCアジア地区予選は、当時所属していたNIIがホストだったこともあってか、作問をする審判団に呼ばれたので参加しました。 これは2018年現在も続けています。
そんな感じです。ではみなさまよいお年を。