ソースを公開するライセンスとして最も有名なものは、間違いなく GNU 一般公衆利用許諾契約書 でしょう。
このライセンスの特徴は、
コピーレフト
が保証されていることです。すなわち、
そのソフトウェアを再配布する人は変更の有無を問わず、配布される人にも
それをコピーし変更を加える自由を与えなければならない
ということを主張しています。これによって、GPL下で配布されるフリーソフトウェアは、
それを誰がどう改変したバージョンであっても、
絶対にフリーソフトウェアのままである ということが保証されます。
NYSLは、コピーレフトを保証しません。 例えば、NYSL下で配布されているソースを利用したプログラムを、 ソース非公開で配布してもライセンス違反とはなりません。
あるいは、GPLなソフトウェアの派生版は必ず配布条件をGPLにしなくてはなりませんが、 NYSLなソフトウェアの直派生版はどんなライセンスにしても構いません。 改造した方自身の思うところに従って決めることが出来ます。
違うのは何故かというと、私が、「全てのソフトウェアがフリーであるべき」 とは考えていないからです。(以下この節では、「フリー(自由)」という単語を GNU の定義する意味で使用します)
"門外不出の秘伝の味付けを使った料理" があってもよいだろう、 ということには、おそらくほとんどの方が疑問を持たないと思います。全く同様に、 製作者がそうしたいのなら、フリーではないソフトウェアが存在してもよいでしょう。
私自身は、ソフトウェアはフリーであった方が素晴らしいと感じますが、 それは重要なことではありません。全ての製作者が、自らの作品について フリーか非フリーかを選択できることが最も重要です。
☆
「あるフリーソフトウェアを改変したもの」に固有の部分(つまり、改変部分)の製作者は、 当たり前ですが、改変を加えた人です。ですから、その改変版をどんな条件で配布するかは 改変者の決定にゆだねられるべきである、と私は考えます。 ここで仮に「非フリーにする」という決定が下されたとしても、 オリジナルのフリーソフトウェアは依然としてフリーのまま存在し続けます。 それは誰にも妨げることは出来ません。 オリジナル版の製作者の選択権は何ら侵されることはないのです。
R.M.Stallman氏へのインタビュー記事を見て書いた追記を GPLとの違い (2) に公開しました。 (2003/08/05)
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