私がGPLを批判するときによく使う、まさにその文句が奇しくも Stallman 氏から発せられていました。
自由な社会というのは、1人1人が自分のやりたいことを自分自身で決定できる、 そういう社会なのだ。
そう、その通りなんだよね。だから私は、GPL によってソースの公開を強制される社会を恐れる。私自身はプログラムは "自由" である方がいろいろな意味で利点があると考えてはいるけれど、 その判断を他人に強制することはしません/できません。 オープンソースTMである方がより良いプログラムを作れるのだ、 と自分が判断したならば、実例を見せて人にそれを納得させればよい。 自由でないソフトウェアを使うことが危険だと判断したならば、 そのことを言葉に変えて、論理に変えて訴えればよい。 既存のものの代替となる「自由なソフトウェア」を提供してみせることもできる。
そして、すべきことは、それだけです。 "人間が発表したいモノを発表して、秘密にしたいものを秘密にできる自由"、 その自由を決しておびやかしてはならない。
## 私がStallman氏の意見をまとめても偏りは避けられないので(^^;、 記事「ストールマン氏へのインタビュー」に必ず目をお通し下さい。。。##
私が「フリーでないソフトウェアを公開する」自由を奪ってはならない、 と考えるのに対して、Stallman氏は、フリーでないソフトウェアを公開するというのは 「自由」ではない「権力」だ、と述べていました。それは守るべき "自由" とは別のものであり、戦わなければならない、と。 この「権力」というのはもっと言えば 「環境管理型権力」のことを指しているように思われます。
これに反対し、GPLが制限だと主張する人たちは、 他の人たちをコントロールしたい人たちなのだ。つまり彼らの言うのは、 「彼らが私達のことをコントロールする自由」を私達が彼らから奪っている、 ということなのだ。だから彼らは、奴隷制に反対する人に対して、 反対しているようなものだ。
とのこと。
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